Profile
ヘアサロン「髪遊戯倶楽部」オーナー。1997年、東京都世田谷区で生まれ、育つ。2020年、日本美容専門学校卒業。1年間表参道のヘアサロンで修業の後、22歳で独立。コーンロウやブレイズヘアのような編み込みスタイルを得意とする彼のヘアアートはヒップホップカルチャーの前線で活躍するラッパー・OZworld氏を始め、各界の著名人から称賛を受けている。ヘアアートを通して多様性を受容し、自分自身を自由に表現できる時代をつくりたいと、技術のレベルアップに励む。毎日、愛犬の茶々丸と愛車のハーレーダビッドソンで通勤。
もっと自由でありたい!
誰もが自分自身を表現できるヘアスタイルを
終業後、人知れず訓練した編み込みの高度な技術をもって、1万人以上のヘアアートを手掛けてきたBRAID KING NORI氏。氏が今思うのは、「美容業界にポジティブな変化をもたらしたい」。異文化の魅力を発信する美容師として刺青に決意を込め、どこまでも顧客の自己表現をサポートする。
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個性と美を追求
美容師の道を歩み始めたのには、子どもの頃、母と兄が美容師として働く姿を見ていたことが影響しています。美の力とその表現方法に魅了されたこともありますが、なんといっても、母や兄がお客様を笑顔で送り出す姿に憧れ、自分もその喜びを感じられる仕事をしたいと思ったのがきっかけです。
それに、当時から自分や他人のヘアスタイルに強い興味を持っていましたから、迷うことなく美容専門学校に進学しました。専門学校では、個性の強い人たちに触発される一方で、友だちが僕の個性を開花させてくれました。
卒業後は、原宿の「アップシーデイジー」という美容室に就職し、主にアシスタント業務を行っていました。
美容師時代のNORI 2017年9月
修業は1年で終え、早々に自分のサロンを開くことにしました。学生時代に、校則に縛られて好きな髪形ができず、自己表現が抑制されていたことが行動を早めた要因の一つかもしれません。もっと自分を表現したいという思いが強かったのです。
誰もが自由に自分を表現できるヘアスタイルを提供するサロンを作りたいと、ファッションの街・原宿で「髪遊戯倶楽部」を立ち上げました。以来このサロンは、個性と美を追求する場となっています。
ブラックカルチャーへの敬意
「文化の盗用」という言葉があります。明確な定義はないようですが、マジョリティがマイノリティの文化的要素を表面的に流用する時に使われます。一般的には否定的な意味合いを含みますが、僕自身は異文化理解と尊重のチャンスと捉えています。ですから、ブラックカルチャーのヘアスタイルを取り入れることで、その文化への敬意を表し、誤解や偏見を解消することを目指しています。
同じ生年月日であるOZworldさんと原宿の「髪遊戯倶楽部」にて
「髪遊戯倶楽部」では、ブラックカルチャーのヘアスタイルに対する偏見をなくし、どの人種でも好きなヘアスタイルを楽しめる社会をつくろうとしています。特に、コーンロウやドレッドヘアといったスタイルは、日本ではまだ理解が進んでいない部分が多いため、その魅力を広めることに力を入れています。僕はこのスタイルを通して、多様な文化が共存する美しい社会を実現したいと思っています。
ヘアスタイルを担当した<OZworld / Gear 5 feat. ACE COOL & Ralph(Prod. FOUX)【Official Music Video】>
ちなみに、僕がブラックヘアーに興味を持ったのは、同じ生年月日である、ラッパーのOZworldさんのファンで、OZworldさんが通う沖縄の美容室に行き、髪を編み込んでもらったのがきっかけです。編み込みのブラックヘアーに魅了されました。ブラックカルチャーのヘアスタイルは、他のヘアスタイルでは提供できない喜びをお客様に与えることができます。一般的なヘアスタイルでイメージチェンジをしようとしても、せいぜい50%程度しか実現できません。けれど、ブラックヘアーなら100%お客様のイメージを変えることができるんです。こんなにガラッとイメチェンできる手段は他にないと思います。
困難を成長の糧にする
独立を決意したのには、もうひとつ理由がありました。自分のスキルが今の美容業界にどれだけ通用するのかを試したかったのです。独立は両親に反対され、会社員になるよう勧められました。しかし、「それではかっこよく生きられない」、「自分らしく生きられない」と思ったので、逆に「意地でもやらなきゃいけない」と決意しました。 独立して5年が経ちますが、最初は集客に苦戦しました。家賃を払うのもきつかったですよ。でも、「やれるとこまでやってやろう」と決めていましたから、自分でなんとかするしかない。そこで、Instagramで影響力を持つインスタグラマーに声をかけて拡散してもらうことで、徐々に認知度を高めていきました。
編み込みの技術は、ウィッグや彼女の髪で練習を重ねました。会社員時代は業務の終了時間が21時位でしたが、終電の0時くらいまで、誰にも見られないように練習していました。今では1万人以上のヘアアートを手掛けた経験から、お客様が望む髪型、髪の長さ、頭の形など複数の要素をかけ合わせて、瞬時に最高の作品が頭に浮かび表現できるようになりました。
他の人と同様に、僕のキャリアにも多くの困難がありました。けれど、それをすべて成長の糧としています。僕は、「失敗を恐れずに挑戦し続けることが大切だ」と常々思っています。この姿勢が評価されたのでしょう。徐々に僕の名前が広がり、現在では多くの著名な方々のヘアアートを手掛けるようになりました。
特に、OZworldさんのヘアスタイルは、僕の技術と創造力を最大限に発揮したものです。僕は、どのような逆境にあっても、それを乗り越えるための方法を見つけ出し、自分自身を成長させることができると信じています。髪遊戯倶楽部は、僕自身の努力と信念の賜物であり、僕の生き方そのものが、多くの人々にインスピレーションを与えていると自負しています。
ヘアスタイルでつなぐ多様な世界
多様な文化や価値観を尊重し、それを美容業界に取り入れることで、より豊かな社会を目指しています。髪遊戯倶楽部では、異なる背景を持つお客様に対して、それぞれの個性を尊重したスタイルを提供し、その良さを取り込む環境を作り出しています。
美容は単なる外見の美しさを追求するものではなく、人々の心にもポジティブな影響を与えるものであると信じています。「髪遊戯倶楽部」で提供されるサービスは、お客様が自分自身を表現し、自分の価値を再認識するための手助けとなっています。僕の取り組みは、美容業界において多様性を尊重し、すべての人々が自己表現を楽しむことができる社会を築くための重要な一歩となっています。
多様なスタイルの提供を通じて、僕たちは文化交流の架け橋となることを目指しています。お客様一人ひとりが自分のルーツやアイデンティティを髪型を通じて表現することで、他者とのコミュニケーションの幅も広がり、相互理解が深まります。髪遊戯倶楽部では、最新の技術やトレンドを取り入れながらも、古くからの伝統や文化を大切にし、それぞれの価値観を反映させたスタイルを提案しています。
刺青に込めた美容師としての挑戦と決意
美容師として生きていく決意を固めた時に、刺青を入れました。それは、僕の美容師としての覚悟を示すと同時に、家族や社会からの抑圧に立ち向かう決意の表れでもありました。家族は保守的で、特に親は刺青に対して強く反対していました。しかし、親からの期待や家系の重圧を感じながらも、僕は自分らしさを表現するために刺青を選びました。
実は、苗字の「鈴木」というありふれた苗字が嫌いでした。いや、苗字というより、それに象徴される家系の厳格さに抑えつけられているように感じ、自分らしさを見失いかけていたのかもしれません。しかし、家紋を刺青で体に刻むことで、苗字に対するネガティブな感情が変わると同時に、自分自身のルーツと向き合い、それを誇りに思うことができるようになりました。
刺青を入れることで、一部の人々から批判的な視線を向けられることもありましたが、その反応を恐れることなく、自分の信念を貫きました。周囲から不安を煽られて尻込みするのではなく、自分自身が納得して行動することが大切だと思っています。刺青を通じて自分のアイデンティティを強く表現できたこと、そしてそれが他の人々にも勇気を与えることができればいいと願っています。
正直なところ、今回の取材を通じて、僕自身の認知度が高くなることを期待しています。アーティストや最前線で活躍している人たちに僕の仕事を知ってもらいたいのです。なぜなら、異文化の魅力を発信するという僕の目標とスタイルが広く認知されることで、美容業界全体にポジティブな変化をもたらすことができるからです。
これからも技術と情熱を持って、多くの人々に影響を与え続けていくつもりです。「髪遊戯倶楽部」は、美と文化の融合を実現する場であり、多くの人々が自分らしさを見つけ、表現するための場所となっています。僕の取り組みは、今後も多くの人々に笑顔を与え続けていくでしょう。