DOers

DOers

株式会社クリエイターズマッチ 代表取締役
呉 京樹

呉 京樹(Keiju Go )

株式会社クリエイターズマッチ 代表取締役
1976年生まれ、兵庫県出身。クリエイター育成専門スクール デジタルハリウッドを卒業後、ゲーム会社、映像制作会社にてデザイナーとして活躍する。その後、営業スキルを身につけるためソフトバンク・ヒューマンキャピタル株式会社に入社。営業マネージャーを経て、2006年に独立。Web制作会社の創業を経て、オンライン広告の拡大を予測し、2007年バナー・ランディングページの制作に特化した、株式会社クリエイターズマッチを設立。同社、代表取締役に就任する。

自身のルーツによるさまざまな差別や困難を経験してきた青年は、生まれ育った街、神戸の震災復興のために汗を流した。そして今、日本のクリエイターたちの価値向上を目指して尽力している。

すべての出来事が今につながっている。
どんな経験も、無駄になることはない。

阪神淡路大震災を経験

私はこれまで、数多くの仕事をしてきました。最初は13歳のとき、リサイクルショップでのアルバイトです。番頭さんの仕事を見様見まねで覚え、今でも家具や電化製品など大抵の物は何でも直せます(笑)。ここでの経験が、私の商売のルーツと言えるでしょう。他には、年末年始の繁忙期の餅屋で緊急要員として働いたり、精肉店が経営しているレストランでも働きました。
自分が作った料理を喜んで食べてもらえるのが嬉しくて、このまま料理の道に進むのも面白いなと思い始めた矢先に、阪神淡路大震災が起きました。1995年1月17日、午前5時46分。その時のことははっきりと覚えています。揺れが収まって電気を付けてみると、テレビは部屋の反対側に移動しているし、おそらく一度宙に浮いて落ちたんでしょう、ピアノの足に付いているタイヤがフローリングにめり込んでいました。

神戸市須磨区にあった実家は倒壊、アルバイト先のレストランは全焼して仕事がなくなり、通っていた大阪にある建築関係の専門学校に行くこともできなくなってしまいました。街が良くならないと、仕事もできません。地元の復興のために自分にできることをと思い、何とかしなければという一心で、京都にあるキャタピラー教習所に行って油圧ショベルの免許を取得し、沖縄から来ていた解体業者のもとで働きました。

三和建設 島田社長との出会い

解体が終わったら、新しく建物を建てなければなりません。そこで今度は、大手ゼネコンに入社しようと思い、休学していた専門学校に再び通って卒業し、就職活動を始めました。しかし、私は在日3世の韓国人。はがき選考で36社から落とされ、面接を受けられた数社でも韓国人であることを理由に落とされました。唯一内定をもらえたのが、宝塚市にある株式会社三和建設でした。

最終面接で当時社長だった島田敏郎さんに、就職活動は順調に進んでいるかと聞かれました。どこにも採用してもらえないと答えると、以前、韓国人を採用したことがあるが他の社員とうまく馴染めず、その人が辞めてしまった話をしてくれました。そして、「呉君を採用したいけれど、また同じことが起きるかもしれない。その時は全力で守るから、私を信じてくれるなら是非来てほしい」と言われ、「社長についていきます」と即答しました。島田さんはきっと、失敗した過去を乗り越えたかったんだと思います。私はその男気に惚れて入社を決めました。

自分の街のために

三和建設に入ってからは、ひたすら働きました。普通は下働きから始めて現場監督になるまで10年以上かかりますが、人手不足だったこともあり、入社後3ヶ月間の研修を経ていきなり現場へ。私の仕事は、マンション建設現場の施工管理業務でした。設計図を施工図に起こしたり、現場で職人に指示したり、震災で街がひっくり返っていたので、とにかくできることは何でもしました。当時はまだ現場にパソコンはなく、図面はすべて手書きです。現場を3、4件かけ持ちしていたので、会社だけでは到底時間が足りず、自宅で毎晩徹夜して書きました。
実家は仮設住宅でしたし、建物を建てなくては、自分の街を復興しなくてはと必死でした。大変でしたが、物理的に建物が建っていく達成感がありましたね。今も私が関わった建物が残っているのは嬉しいことです。

4年経って震災復興が落ち着き、自分自身が本当にしたいことは何かを考えるようになりました。当初は手書きだった施工図も、後半はCADが導入されたことでパソコンに触れ、3DCADに興味を持ちました。その頃公開されていた映画『スター・ウォーズエピソードⅠ』に衝撃を受け「こんなものが作りたい!」と思い、三和建設を退職して翌月ハリウッドに向かいました。22歳のときのことです。

デジタルハリウッドとの出合い

とにかく世界最先端の映画の技術を、どんな人たちがどんな場所で作っているのかを見なくてはという思いに突き動かされていましたね。ロサンゼルスのダウンタウンにアパートを借りて、あちこちで情報収集しながら働き口を探していたところ、ある映像プロダクションでCG の勉強をしっかりしてから面接に来いと、DIMAという専門学校を紹介されました。英語が話せない私はDIMAに入学できず、提携している日本の学校を紹介されました。それが当時まだ小さかった、デジタルハリウッドです。帰国後すぐに説明会に参加し、入学を決めました。
問題は学費の100万円です。そんなお金はないので、朝4時から8時まで中央市場で働き、9時から夜の7時まで靴工場、夕飯を食べた後はJRの駅の清掃、それが終わると12時までバー、さらに夜中の2時まで飲み屋で働き、1時間寝て、午前3時に起きて4時から中央市場という毎日を過ごし、2ヶ月間で100万円を貯めました。入学した後も仕事を4つ続けながら半年間通い、無事卒業しました。

しかし、半年でCGをマスターしようという考えが甘かった。どこにも就職できず、CAPCOMに入ったクラスメートに相談して、CG制作の下請け会社を紹介してもらいました。社長に作品を見せると、「レベルが低くて即戦力にならないから雇えない」と言われましたが、最前線の仕事を見られるだけでいいと思い、月5万円の給料でも良ければという提案を受け入れ、次の日から働き始めました。
リサイクルショップで働いていたときのように、技術は横で見て学び、戦力として扱ってもらえるようになりました。XBOXのソフト『ブリンクス・ザ・タイムスイーパー』や、CAPCOMの人気サバイバルホラーゲーム『バイオハザード・アウトブレイク』の制作に携わり、エンドロールに名前が載るまでになりました。そして、ゲームだけではなく、夢だった映像へと仕事が変わっていきました。そこでは制作から次第に営業を担当するようになり、東京支社立ち上げの準備をすべて任され、私は上京しました。

目的達成のために行動し続ける

新規クライアントを開拓していく中で驚いたのが、大阪との価格の違いです。同じような仕事でも大阪では10万円だったのが、東京だと150万円で受注できる。それなのに、一向に年俸は上がりません。優秀なクリエイターも同じです。調べてみると、海外のクリエイターは平均年収約1,000万円、日本の平均は約300万円で、地域格差が大きいことも知りました。この時、このままでは日本でクリエイティブな仕事をしたい人がいなくなってしまう、クリエイティブ業界が破綻してしまう、何とかしなくてはと思ったのが、今の会社をつくったきっかけです。
成功するとクリエイターの多くは独立しますが、営業が上手くできなくて失敗することが多いんです。だったら、私がクリエイターたちに仕事を取ってこよう、技術があるから営業先ですぐにプレゼンできるし、どのようにマネジメントすればクリエイターが苦労しないかも分かる。クリエイターが活躍できる環境と仕組みを作るために、本気で営業スキルを身につけようと思い、ソフトバンクの子会社であるソフトバンクヒューマン・キャピタルに入社しました。

明らかに周りは学歴が高い人ばかり。ただただ負けられない、仕事量だけは絶対に負けてはいけないと、入社初日からテレアポ数百、飛び込み営業、毎日7〜9件のアポをまわり、1カ月目で目標を達成して新人賞を獲得、それから半年間目標達成を維持してMVPも取りました。営業スキルが身についたところで独立し、バナーやランディングページといった、インターネット広告の企画・制作を行う「クリエイターズマッチ」を設立しました。
社内ディレクターが受注し、全国にいる外部提携クリエイターに発注します。私たちが予算や進行管理といった営業業務を引き受けることで、クリエイターは制作に集中することができます。創業時はデジタルハリウッドに協力していただき、卒業生を中心に提携クリエイターを集めましたが、中には技術が未熟な人もいたので、9年前にスキルアップのための教育事業を立ち上げました。これが今のクリエイターズマッチを支える事業として大きく成長しています。

クリエイターの価値向上を目指して

これまでの人生におけるさまざまな経験は、何一つ無駄になっていません。いくつもの経験、仕事、たくさんの出会い、すべてがつながって今があるんだと思います。これからも積極的に行動し続け、当面の目標である上場に向けて邁進していきます。
今後の事業展開ですが、今考えているのは、クリエイターが正当に評価されるための基準、制度の確立です。日本においてクリエイターの価値が低く給料が上がらないのは、営業職のように売上げ数字で評価できるような仕組みがないからです。弊社が開発した、クラウド提供の制作特化型プロジェクト管理ツール『AdFlow』を活用して、クライアントがデザインを気に入ったかどうかだけでなく、そのデザインがどれだけ売り上げに貢献したかを可視化できる仕組みをつくりたいと考えています。他には、クリエイターのための学校設立の構想も練っています。
会社はまだ発展途上ですが、クリエイターを支援し、多くの素晴らしいクリエイティブで世の中を満たしたいと思っています。

経験が人を成長させてくれます。どんな経験も必ず。
恐れず、自分を信じて進めば道は拓ける。今までもそうやって歩んできた。
その中で出会った人達に、生き抜く勇気をいっぱいもらった。
これからも、自分に嘘をつかず真っ直ぐに自分が目指す世界を創って行きます。

株式会社クリエイターズマッチ 代表取締役
呉 京樹

Interview and Editor : Daisuke Sugiyama | Text: Naomi Kusuda | Photography: Akane Inagaki

Share

メゾン ポール・ボキューズ <撮影協力>

フランス・リヨン郊外で、1965年以来、三ツ星に輝き続ける名店「ポール・ボキューズ」。ボキューズ氏が世界に説いてきた正統なるフランス料理の文化を日本の皆様にお伝えるすため、「メゾン ポール・ボキューズ」が作られました。

〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町17-16 代官山フォーラム B1F

LUNCH- 12:00〜15:30 (14:00 L.O.)
DINNER- 18:00〜23:00 (20:30 L.O.)
定 休 日- 毎週月曜日(祝日の場合は翌日に振替)

URL : https://www.hiramatsurestaurant.jp/paulbocuse-maison/

2018 © DOERS.