藤原 良浩
Yoshihiro Fujiwara プルデンシャル生命保険株式会社品川第一支社 営業所長 /
2022年度MDRT成績資格会員
「全盛期は、今」
そんなことをみんなが言える世の中にしたい。
誰だって、新しい自分に出会いたいと思っている。
中学校、小学校の教員を経て、外資系金融機関からヘッドハンティングされ転職。世間の常識を捨て、チャレンジした理由は何なのか。教員を辞めた今もなお、藤原の心には教育への熱い思いがたぎっている。
Profile
品川第一支社 営業所長 /
2022年度MDRT成績資格会員
1989年3月7日、神奈川県横浜市生まれ。2007年、教師を志し、文教大学へ進学。体育会サッカー部に所属。2008年、大学2年生時に体育会会長に就任し、サッカーグラウンドの人工芝化に貢献。
大学卒業後は埼玉県の公立中学校に赴任。2年で退職し、オーストラリアで1年間、無人島生活を経験。帰国後は、小学校で教師を務め、教員8年目を迎えた2020年、ヘッドハンティングによりプルデンシャル生命保険株式会社へ転職。初年度に社長杯入賞、2年目で世界基準であるMDRT会員※になり、4年目に営業所長に就任。教育の場を公教育からビジネスの世界へと移し、営業管理職として後進の育成に尽力している。
転職した2020年に、母校、文教大学の体育会サッカー部の監督に就任。現在4年目。
※MDRT:1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は、卓越した生命保険・金融プロフェッショナルの組織です。世界中の生命保険および金融サービスの専門家が所属するグローバルな独立した組織として、500社、70カ国で会員が活躍しています。MDRT会員は、卓越した専門知識、厳格な倫理的行動、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険および金融サービス事業における最高水準として世界中で認知されています。
扉を開いた一本の電話
2019年11月下旬。秋もすっかり終わり、これから冬、到来!家でおでんを食べながら、気分よくハイボールを飲んでいた時「ヨシさんに会わせたい人がいる」と後輩から突然電話がありました。「誰なんだろう」と思いながらも可愛い後輩からの話ですので、付き合いだと思い、会ってみることにしました。
会ってみたら、相手はプルデンシャル生命保険の営業管理職だと言う。「おいおい、待ってくれよ。プルデンシャルと言ったら、優秀な営業マンに連絡がくるって、聞いたことあるぞ!」。そんな胸の高鳴りがばれぬよう、冷静を装っていましたね。話を聞いているうちに、どんどん引き込まれました。「プルデンシャルで働いたら、自分のなりたい姿を叶えられるかも!」。そう思い、翌日に支社長に会わせてもらい、支社長から話を聞き、翌日には学校に退職届けを出しました。それくらい直感で 「ここだ!」と思ったのを今でも覚えています。
ただし、担任の先生でしたので、3月末まで責務を全うしました。
安定を捨てた、3つの理由
誰が聞いても安心してくれる「教師」という職業。「藤原さんは何の仕事をしているのですか?」と、職業を聞かれるのがとにかく嬉しかったです。だって、信頼してくれるから(笑)。 そんな、誰からも信頼を得られる「教師」という肩書きを捨ててでも私が手にしたかったもの。3つあります。
1.カッコいい監督の姿
プルデンシャル生命保険株式会社に入社したタイミングで、母校、文教大学体育会サッカー部の監督にも就任しました。「私を育ててくれた母校に、また戻れる!」この上ない喜びを感じる一方、「人生で何も成し遂げてない、また、社会経験のない私が『監督』という立場で選手の前に立って話をして良いものなのだろうか・・・」と、心が大きく揺れました。それでも当時主将の山本克さんの「名前だけ貸してくれれば良いので!」という何とも言えない“熱烈オファー”に「わかった」と二つ返事で答え、監督となりました。月曜日から金曜日はビジネスマンとして朝から晩まで東京で働き、土日は監督としてピッチに立つ。選手に“監督として”カッコいい姿を見せるには、とにかく働く以外方法はありませんでした。就任してから3年、仕事も監督業も、休もうと思ったことは1度もありません。
2.父を、経済的に助けたい
私が23歳の1月25日に、母は亡くなりました。誰からも愛される人でした。誰かのためにご飯を作ってあげることが生きがいの、心の優しい人でした。 母の手料理を食べたい人が連日家に遊びに来て、毎日“パーティー”が開かれる、そんな家で育ちました。愛情があり、どんな時も味方でいてくれましたね。「よしが教師になったら、授業参観で生徒の保護者のフリをして、授業を観に行きたいな〜」といつも言っておりましたが、夢を叶えてあげる前に、母は亡くなってしまいました。命は限りあるものだということを、身をもって感じました。
父は、母との老後の生活を楽しみにしていました。毎週末、2人で飲みに行くくらい仲良しだった2人の夢は、東京に“立ち飲み屋”を出すことでした。母の美味しい料理を食べながら、父がカウンターでお客さんと楽しい話をする。母の夢を叶えるために父は出資し、母の大好きなジャズピアニスト Bill Evans から名前をとった“EVANS”なる店を渋谷の神泉に出しました。そこで沢山のお客様に囲まれて楽しい老後の生活を・・・なんて考えていた矢先、母に余命半年の宣告。一番辛かったのは父だと思います。
母が逝ってしまったあと、兄、姉はそれぞれ違った形で親孝行をしてきました。兄は子ども3人を育て、父に“じいじ”をやらせてあげました。姉は、母が逝ってしまった後も10年間“EVANS”を守りぬき、父の居場所と仲間を作りました。兄弟ながら、心の底から 「カッコいいな」と思っています。ところが、私は何もしてあげられてない。大好きなお酒を買ってあげたいし、行きたいところにも連れて行ってあげたい。温泉にだって、旅行にだって、連れて行ってあげたい。ただ、何をするにもお金が足りない。父が元気なうちに親孝行をしてあげるには、 私が経済的に豊かになる以外方法はありませんでした。
3.教員仲間のセカンドキャリア
全校朝会で「鈴木先生は、9月から○○会社に転職します!」なんてこと、今までありました?(笑)そうなのです、教師には転職する文化はなく、ほとんどの先生は定年までやり遂げます。 私ももちろんそうなるだろうなぁと考えておりましたが、縁あって勝負の世界でチャレンジすることになりました。大学の仲間とは関係が深く、今でも付き合いがありほとんどが教師を続けています。そんな仲間たちから「そっちの世界はどうだ?」なんてよく聞かれますが、その際、私がつまらなそうに、辛そうに働いていたらどうですか?夢、ないですよね。だから私は、教師のセカンドキャリアに「夢」と「希望」を与えるためにも、誰よりも働き、誰よりも社会に貢献し、誰よりも稼ぐと決めました。
全盛期は、今
質問です。あなたは今、夢がありますか?今の自分が、好きですか?子どもの頃、なりたかった自分の姿に、なれていますか?人生やり直しがきいても、今の仕事を選びますか?
ライバルは、自分です。過去の自分なんです。誰だって戻りたい過去はあります。甲子園、選手権、インターハイを目指していた時の自分。ライバルに絶対勝ちたいと、誰よりも早くにグラウンド、体育館に行き、自主練習していた時の自分。志望校を目指し、誰よりも早く自習室に着き、勉強していた時の自分。青春を謳歌していた時の自分。誰にだって、戻りたい過去はあります。それらに全てに共通して言えるのが、みんな挑戦していたんです。何かに、挑戦していたんですよ。皆さんは今、何かに挑戦していますか?無我夢中で、寝る間を惜しんで、自分のやりたいことに没頭できていますか?周りから笑われるような、大きな夢はありますか?
私には、あります。笑われるような、大きな夢が。今、その夢を叶えている最中です。是非、一緒に、なりたい姿を叶えましょう。一緒に「全盛期は、今です」と、言いましょう。そして、みんなが夢を語れる、そんな世の中にしていきましょう。