須賀 慎

Makoto Suga 株式会社ルピナスファクトリー代表取締役
須賀 慎

経験を積ませ、勉強させ、考えさせ、
世に出して恥ずかしくないITエンジニアを育てる

プライベートを捨てて仕事に没頭した20代。この期間に培ったエンジニアとしてのベースが、IT業界における須賀慎の信頼と信用を築き上げた。
40代になった今成すべきことは、人材の育成だと言う。

Profile

須賀 慎 株式会社ルピナスファクトリー代表取締役

1982年、10月生まれ。高校卒業後、情報ビジネスの専門学校に通い、プログラミングを学ぶ。19歳の時、恩師の紹介でIT企業に入社。先輩に誘われて23歳でシステム開発会社に転職。25歳で同社監査役となり、27歳で取締役に昇進。28歳の時、エンジニアとしての実力を買われて大手システム会社に移籍し、人材採用と教育をまかされる。30歳で独立を決意しフリーランスとして活動を始め、2015年にはITコンサルティングやアプリケーション開発を行う株式会社ルピナスファクトリーを設立して代表取締役に就任。高い技術力とコミュニケーション力によって多くの顧客の信頼を得るとともに、若手エンジニアの育成にも注力。
フットサルのチームに入っており、2カ月に一度程度は埼玉県のオーバー40のリーグ戦に出場。将来の夢はフットサルコートの運営。

数学とプログラムに共通する ‶正解までの過程に正解がない面白さ″

子どものころから結構頑張り屋さんでしたよ。学校の授業も大好きで、特に小・中学生のころの算数や数学の授業は楽しかったです。問題を出されてもすぐに解けてしまうので、クラスメイトが解いているのをぼっーと待っていて、先生の代わりに教えたりしていました。

数学の面白さは解けるまでの過程にあります。正解に行きつくまでの過程は人によってさまざまで、いろいろな解き方がある。つまり、正解までの過程に正解がないのです。
プログラムも同じで、例えば同じプログラムを何人かの技術者が同時に作り始めても、その書き方はまったく違います。でき上ったものを見ると、必ず「こういう発想をするんだ」という発見があり、本当に面白いと思います。
もっとも、数学が好きだったことと、この業界に入ったことは全然関係ないんですよ。

この業界に入ろうと決めたのは、専門学校に入学してからです。
専門学校の先生が元国会議員の政策秘書だった人で、その伝手(つて)で議員の方々の仕事をお手伝いしていたところ、就職の際に先生から「公務員かIT業界か、どちらか選べ!」と言われ、迷わず「IT業界でお願いします!」。
授業で習ったプログラム作りが意外に面白かったんです。
ところが、先生の紹介でインターンとして行ったIT企業では、何もかもがチンプンカンプン。学校の成績はクラスで上位に入っていたのに、会社では‶挫折のし放題″という状況。(笑)
そのうえ、意地悪な先輩が大勢いました。「ここで負けたら男が廃る、負けてなるものか」、そんな気持ちで仕事をしていましたね。そうした中で、システム開発会社の社長に出会い、プログラムやこの業界の面白さをじっくり教えていただきました。転職したのは23歳の時です。

プライベートを捨てた20代。
ひたすら経験値を積み上げる

今では考えられませんが、システム開発会社に勤めていた5年間は、月に350時間以上は仕事をしていました。夜勤はある、問題が起きれば昼夜を問わず呼び出しがかかるといった具合で、気の休まる暇がありません。友達からの誘いも断っているうちになくなり、関係は途絶えたまま。当時は、20代に時間をかけて量をこなせば、30代以降の仕事が楽になるだろうと思っていましたから、プライベートは捨てていました。嫌ではなかったですよ。また、仕事を教えてくれ、経験値を積ませてくれる場を提供してくれる人が喜んでくれることもありむしろウェルカム。問題を見つけ、仮説を立てて立証する、この繰り返しは時間的にも精神的にもハードでしたが、同年代の人とは比べ物にならないくらい経験を積むことができました。僕のベースを作った5年です。

この会社では取締役という立場までいきました。けれど、肩書が先行して、それを一生懸命追いかけている感じがあったのも事実です。
周りは年上の人ばかりで、彼らの上に立たなければならない。ところが、彼らの業界歴は僕よりも長く、知識も豊富です。その人たちに指示を出したり、説得しようとしても「何言ってるの」のひと言で終わってしまう感じでした。
そのきつさもあったのですが、取締役になったばかりの頃、5人で数億円規模のプロジェクトを進めている時、スタッフがぜんぜん手伝ってくれないように思えて、仕事を周りに振らずに一人で進めてしまったことがあります。ところが、結局は僕がボトルネックとなって仕事がとん挫し、‶社員全員が路頭に迷うかも″という状況になりました。
他の役員や社員が入ってリカバリーしてくれ、なんとかなりましたが、あの時はメンタルをやられました。当時の人に会うと未だに謝っています。(笑)

実はその後、横浜の中華街に転勤になり、2年ほどゆったりした雰囲気の中でプログラムを作っていたら、またいけるかもしれないという気になりした。ちょうどその頃、社長に呼び戻され、短期間でプロジェクトを成功させたのが自信になりましたね。自分の限界もわかって、人を頼ることも学びました。運がよかったんだと思います。

よく「須賀さんの強みは何ですか」と聞かれます。親しい方からはフットワークが軽い、交渉が上手い、勘がいいなどと言われますが、僕自身が自信を持って言えるのは問題解決能力です。あの時の経験値の高さが活きているんじゃないかと思います。

3年間と期限を決めてフリーランスに。
そこで見つけた起業の種

役員をしていたシステム開発会社が倒産し、一般企業に転職することになりました。サラリーマンに戻ったのはいいのですが、少数精鋭でモチベーションが高かった前の会社と比べると、どうしても転職先の足りないところが目についてしまいます。例えば、勉強が必要だというと、「なんで勉強するんですか」と聞かれる始末。なぜこの人たちのために自分の時間を費やさなきゃいけないんだろうと、疑問に思うようになりました。それがフリーランスになるきっかけですね。

僕は営業担当に仕事をアサインしてもらう必要はなく、自分で仕事を取ってくることができたので、妻に3年間だけチャレンジさせてほしいと頭を下げました。
というのも、フリーランスは40歳が限度だろうと考えていたためです。50歳60歳になってプログラムだけで仕事ができるだろうとか考えた時、それは無理だろうと思ったんです。
誰が考えても、20代と50代を天秤にかけた時、知識や経験値は50代にあったとしても将来性は絶対に20代が上ですよね。だから、3年頑張ってダメだったら、サラリーマンに戻ろうと決めたのです。

実際に始めてみると、思いのほか順調に仕事が入りました。これならいけると思い法人にしようとしたのですが、ただ法人にしてもしかたない。人はいつか死ぬんだから、何かを残したいと思いました。
他社のエンジニアと仕事をしていると、エンジニアのスキルは驚くほど低いのに報酬は非常に高いという場合があります。このエンジニアが所属する会社の利益率は高いでしょうが、常に不安が付きまといます。一方のクライアントは大きなコストをかけているのに、でき上ったものはぜんぜん使えない。こういうケースをたびたび見てきました。
そこで僕は、「人を育てていく」会社を作ろうと決めました。経験を積んでいる者が教育すれば、クライアントもエンジニア自身もエンジニアが所属する企業もハッピーになるシステムができると考えたのです。

経験値を高め、戦えるエンジニアを育てる。
そして助け合える関係を築く

今は営業も開発も僕がやっています。社員に学ばせる機会を作ることが大事だと思っているので、仕事を受ける際は、この社員にはこんな経験をさせたいとか、こういうふうに育ってほしいと考えつつ、本人の意見を取り入れて選んでいます。
新しい仕事が始まる際に、最初から社員を矢面に立たせることはしません。まず僕が相手の温度感や知識レベルを確認し、戦えるだけの道筋を作ってから送り出します。そうすれば、それほどストレスをためずに仕事ができるはずです。
もちろん、声を掛けてくださる方に「NO」は言いません。できることがあれば力になります。それが信頼と信用につながっているのですから、おろそかにはできません。

社員には、「技術力で僕と戦っても勝てないよ」と言います。今は簡単にプログラミングができるサービスがありますが、僕たちの頃はそんなものはありませんでした。今みんなが使っているサービスと同じものを作り続けてきたのですから、知識と経験の量は比較になりません。それに、以前はより深いところまで追求しなければ問題の原因もわかりませんでした。
社員が僕と対等に渡り合えるものといえば概念だろうと思います。「こういう考え方をして、こういうふうに作る」という概念は時代に関係ないので、本からでも勉強できます。これはとても大切なことで、社員にはしっかり勉強し、よく考えるように言い続けています。
でき上ったプログラムを見て、なぜこう書く必要があるのかと質問すると、「何となく」という答えが返ってくることがあります。わからずに書いているからです。これでは問題が起きた時に原因を追及できず、改善ポイントも見出せません。社員には、それだけはやめてほしいと言っています。世に出した時に恥ずかしいレベルですからね。
社員には経験を積ませて独立させたいと思っています。狭いIT業界ですから、インフラが強い人、アプリが強い人などとの協力関係を広げていければいい。そして、困った時には助けたり助けられたりする関係が築けるといいんじゃないでしょうか。

Interview and Editor : DK Sugiyama | Text: Kyoko Ayukawa | Photography: Atsushi Arakane
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