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髙木 秀邦氏

株式会社髙木ビルCOO
髙木 秀邦氏

髙木 秀邦(Hidekuni Takagi )

株式会社髙木ビルCOO、宅地建物取引士、賃貸不動産経営管理士、相続士
1976年生まれ、東京都出身。成蹊高校、早稲田大学商学部卒業。大学卒業後、プロのミュージシャンとして活動。その後、信託銀行系大手不動産仲介会社で営業職を務め、2009年株式会社髙木ビルに入社。東京都を中心に自社ビル・マンションの設計開発、管理運営を手がけ、「オフィスビルの新たな価値創生」を掲げて活動している。

大学卒業後、ミュージシャンでの成功を夢見て家を飛び出した青年は、ある時、就職を決意し、不動産業界に身を投じる。東日本大震災を機に、創業者である祖父の苦労と思いを肌で感じ、業界の既成にとらわれない発想で新しい不動産業の在り方を模索し、創り上げていく。

人とつながること、それが不動産業。
人から人へ、架け橋となるような仕事をしたい。

既成を打ち破る一歩

髙木 秀邦氏

2017年10月2日に、人と企業の成長を通して日本を元気にすることを目指した、成長型フリーワーキングオフィス「BIRTH KANDA」を立ち上げました。着なくなった服と同じように、不動産もオークションに出品するなどより自由に取引できてもいいはずなのに、法律や古い慣例に縛られていて、不動産仲介会社に頼らざるを得ない市場となっています。賃貸や売買契約が完了すれば、仲介会社には必ず成功報酬としての仲介手数料が入るため、仕事の対価性が曖昧で、きちんとコンサルティングしないことも多くなりました。この状況を変えていくことが、僕たち世代の使命だと考えています。その第一歩が「BIRTH KANDA」です。この場所には、貸主と利用者の関係ではなく、共に高みを目指す仲間として、いろいろな人に集まってもらいたいですね。

不動産業界は、オーナーの下に管理会社があって、次にお客様を紹介する仲介会社、その先にテナントという、オーナーとテナントの間に四重、五重の壁があります。オーナーが思っていることをテナントに伝えようとしたとき、その壁は邪魔になります。僕は、東日本大震災後の復興時期に、テナントにダイレクトにアクセスしました。そこで初めて、うちのビルに対する不満や、市場の本当の声を聞くことができました。それまでは、料理人が食べている人の顔色を見ていないのと同じ状態。それではお客様に喜ばれるものを作れるはずがありません。そんな単純なことを、不動産オーナーたる僕は分かっていませんでした。

この一歩を踏み出す前は、「こんなことをしたら、業界からどう思われるだろう」「情報が来なくなるんじゃないか」と、悩みました。でも、いざ谷を飛び越えて後ろを振り向いてみたら、何てことはない、単なる一歩でした。

魂を受け継ぐ

髙木 秀邦氏

株式会社髙木ビルは、昭和30年代に祖父が立ち上げた会社です。髙木家は東京都府中市の地主農家で、代々その土地を引き継いできましたが、戦後の農地解放政策で土地の多くは小作人のものになりました。虎ノ門や武蔵野にあった農地以外の土地が残り、祖父は戦後復興の中、自分に何ができるかを考え、不動産業を興し、それから虎ノ門に第1号のビルが完成するまでに10年以上かかりました。1年単位で新しいビジネスがどんどん生まれている現代にいる私からすると、10年もの間何の成果も得られない状況は考えられません。一農家だった祖父が10年間、自分の子孫や、日本の将来を思いながらビル建設に取り組んだ苦労は、父と私の中に刻まれています。
東日本大震災の後、「震災復興は戦後復興に比べたらたいしたことはない。日本人は絶対に乗り越えられる。だから頑張れ」と、エステーの鈴木喬会長が話をしてくれたことがありました。戦後という厳しい状況において次の世代・時代を思い、復興を成し遂げた日本人の魂が、虎ノ門の土地にもあると感じています。ですから震災後に第1号ビル(旧虎の門髙木ビル)を父と共に建て替えるとき、「100年価値を持ち続けるビルをつくる」ことをプロジェクトの大義にし、平面計画から設備、柱の構造、外壁の素材、ビス1本に至るまで、全て100年後のことを考えて作りました。

二代目の父は、石橋を叩いて、叩いて渡らないような性格で、不動産バブル絶頂期にも決して踊らず、戦後に祖父が築いた橋を着実に鍛え上げました。次にその橋を渡るのが僕の役割であり、髙木ビルの価値をどう展開していくかが勝負です。不動産業の面白さや意義、三代目としてやるべきことを越えたところで始めた新しいオフィスビル事業が、僕の分岐点になりました。

人をつなぐ架け橋に

髙木 秀邦氏

「人とつながること」、これが本当の不動産業だと思っています。床を貸しているつもりは一切ありません。オーナーである僕は、入居者の方と同じ方向を向いて伴走しているんです。伴走でもあり伴奏でもあります。入居者みんなが主役であり、脇役であり、パートナーだと考えています。最近気に入っているのが、「91度の人生を歩もう」という考え方です。90度はナチュラルで止まっている状態で、89度は絶対に前には行かない状態。たった2度の違いだけれど、決断して前に傾きアクセルを踏んですこしでも前進していく伴走/伴奏を、BIRTHはしたいと思っています。
特別なサポートプログラムを展開しているわけではなく、常に膝を突き合わせいろいろな話をしているだけですが、BIRTHに入っている会社はどんどん成長していて、決算が終わると「おかげさまでこんなに成長しました。もっといきますよ」と、勝手に決算書を見せに来ます。嬉しくなった僕は、契約形態や管理のことではなく、「次は一緒に何の話をしようか、一緒にどんな人に会おうか」、そんなことばかり考えています。

「BIRTHに入居したい人がいるので会ってほしい」と、知らない所でBIRTHのはしごがどんどん掛かっています。不動産業は一回限りの仕事が多いですが、僕は、人から人へつながる架け橋になるように、連続性を持ってやっていきたいですね。成長していくはしご、人と人を架けるはしご。自分の名字、髙木の“はしごだか”に、すごくアイデンティティーを感じます。

ミュージシャンからサラリーマンに

髙木 秀邦氏

大学時代は、毎日朝から晩までずっとギターを弾いていました。音楽は自己表現の一つだと思います。セッションでは自分をどう出すか、どう伝えるか、バンドと自分がどう関わりたいかを考えていました。真面目な学生ではなかったけれど、音楽を通してたくさんの人と出会い、ステージに立って大勢の前で演奏するという経験もできました。
プロのミュージシャンとして活動していた頃は、どうしたらホームランを打てるんだろうと悩んでいました。でもある瞬間、「このままヒットは打ち続けられるかもしれないが、このままではホームランは打てない」と、悟ってしまったんです。やり切ったという思いもあって、就職する決断をしました。やめたときは、真っ白なキャンバスに挫折の二文字しかない状態でしたね。

思いを交換した取引

髙木 秀邦氏

今、BIRTHで実験の場「LAB(ラボ)」を作ろうとしています。研究施設のラボではなく、行動のLABです。日本中から、作品を展示したり、商品のブースを開いたり、期間もスペースも自由に使える、さまざまなものを発信できる、そして、メンバーが自由な商談やワークショップ・イベント等が日々行えるフリーセッションの場です。費用がかかる大イベントホールや百貨店の物産展・アンテナショップへの出展ではなく、もっとコンパクトに「発信~共有~展開ができる」場所が、日本は極端に少ないと思います。発信者は個人でも、企業、自治体でも構いません。ハードルを下げて気軽に発信できる場を、麻布十番駅前の1階に作ります。街の顔となるような場所ですから、飲食店を入れて採算良く回すのも一つの成功かもしれません。でも、不動産業の価値は「床×坪単価」ではないことを、そこで体現したいんです。これがBIRTHの次のステップです。

このビルの元オーナーは、麻布十番で長年商売をされていた地元の名士で、娘さんが跡を継ぎ、1階で商売を続けながら最上階に住んで貸ビル業を営んでいました。今年創業92年を迎えましたが、ご自身が60歳になられるのを機に、事業を閉じる決意をされました。しかし、92年守り続けてきた会社と、自分が生まれ育ったビルを誰に託すかが、一番の課題でした。いくら高く買ってくれても、どこの誰か分からない人に売っておかしな建物を建てられても困る、社名が入った看板を残してほしい、というのが彼女の願いであり、売買の条件でした。
僕も、祖父が建てた虎ノ門のビルを建て替えるとき、その痕跡を全て無くしてしまうことができなくて、錆び付いた銅の「虎の門髙木ビル」の看板を残し、新しいビルの正面玄関に掲げました。そうすることで、僕の思いを表現し、祖父の魂を宿したかったんです。オーナーにその話と麻布十番でやりたいことを話したら、「あなたしかいない」と、僕を取引相手に選んでくれ、契約時には、「これで最後の大仕事を終えられる」と、涙を流されていました。新しい価値に踏み込んだとき、自然とその価値がつながることを実感し、お互いの想いをトレーディングしたような取引でした。

BIRTHと僕の挑戦

髙木 秀邦氏

麻布十番では、ラボの他に、生活部分も含めて展開したいと考えています。勉強の場や学童保育、住む、泊まるなどのチャンネルを増やしていきたいんです。この度 BIRTH は平成 30 年度“東京都インキュベーション施設運営計画認定事業”に認定されました。今後は東京都とも密に連携し、全国のインキュベーション施設を通じて、企業や人、自治体ともつながっていきたいと考えております。いろいろな地域から人がつながりに来て、セッションするような場にしたいですね。
もう一つ考えているのが、BIRTHに集まる人たちが住む場所です。働く場所と生活の場所がクロスするところに何か生まれるんじゃないか、オフィスや家を横軸に、集中やリラックスのモードによって場所がたすき掛けで変わっていくような空間で、人は最も能力を発揮するのではないかと思っています。ワーク・ライフ・バランスと言いますが、離れたワークとライフのバランスを取るではなく、仕事と生活の中間で相互に重なりシンクロする、言うならば「はたらく家」のBIRTH LIVINGを「暮らすオフィス」であるBIRTHの近くに作ったとき、何が起こるか楽しみです。

インタビューを受けて

初感覚。今まで少なからず多々取材を受けてきたが自分は「語り手」でありインタビュアーは「聞き手」という概念でのことが多かったが、今回はお互い「語り×聞く」の応酬。なんだ!いつも自分がやってきたセッションじゃないか。そこから腹の底どころか裸の気持ちを語ることができた体験でした。そう体験、つまり楽しいLIVEでした。そうして気づいたことは、杉山大輔さんインタビューの成果はその記事ではない。ここから始まる多次元インタラクティブな人間のつながりである。ワクワクが止まりません!
株式会社髙木ビルCOO 髙木 秀邦氏

Interview and Editor : Daisuke Sugiyama | Text: Naomi Kusuda | Photography: Akane Inagaki

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