DOers

DOers

プルデンシャル生命保険株式会社
営業所長
シニア・コンサルティング・ライフプランナー
岡田 吾一

Profile
1975年5月1日、オランダ・ロッテルダム生まれ。日本国籍。高校時代は桐蔭学園でラグビーに打ち込む。1999年、中央大学商学部卒業。大学在学中にIT企業でアルバイトながら営業として働き、正社員40名を抑え営業の社内トップに。卒業後、大日本印刷株式会社に就職。社長賞を2回受賞する。2009年9月、ヘッドハンティングによりプルデンシャル生命保険株式会社に転職。社長杯入賞は10回にのぼり、MDRT終身会員という成績を残し、現在は営業所長として後進の育成に尽力している。

父の突然の死。その翌年、長女を胸に抱き、家族の死と誕生が交差するターニングポイントで辿り着いたのは、「人生の目的とは何か」という問いだった。大企業の営業マンとして築き上げた実績を捨て、生命保険という未経験の分野に挑戦し、今も進み続ける彼の「夢」とは。

所属する組織で成功することが、
人生の全てではない。
自分と大切な人たちの夢を叶えることが、
人生の真の目的ではないか。

父の死は大切なことを気づかせてくれた

2004年12月25日のことです。夕方から身重の妻と一緒に実家に帰り、家族揃ってクリスマスパーティーをする予定でした。海外生活が長かった僕たち家族にとって、クリスマスは特別な日だったんです。

ところが、その日の朝、姉から電話があり、「パパが死んじゃった」と唐突に告げられました。急いで実家に帰ると、父は裸のままで脱衣所に寝かされていました。朝、目を覚まして、ベッドの隣りに父がいないことに気づいた母は、家中探し回り、最後にまさかと思いながらお風呂場をのぞいたところ、湯船の中に顔まで浸かっている父を発見したそうです。死因は溺死でした。
裸で横たわる父を見ても、あまりに突然のことで涙が出ません。気が付くと「あんなに孫を抱くのを楽しみにしていたのに、何やってんだよ!」と叫んでいました。

その夜、長男の僕は喪主の挨拶を考えながら、父との日々を振り返っていました。恥ずかしながら、そのとき初めて、父はどれだけ僕のことを愛情込めて育ててくれたか、手をかけてくれたかを思い知りました。そして、もう親孝行ができないなら、父が僕にしてくれたことを、同じように自分の子供にしてあげよう、それがせめてもの親孝行であり、自分がやらなければならないことだと気付きました。

アルバイトながら営業成績1位

岡田家は、僕以外みんな慶應義塾大学の出身です。子供の頃からラグビーに打ち込んでいた僕もタイガージャージに憧れていたのですが、ラグビーに明け暮れ全く勉強をしていなかったので、結果的に中央大学に行くことになりました(笑)。親戚中から、「吾一はダメな奴」というレッテルを貼られ、とても悔しくいつか見返してやると思いました。ラグビーをするのは週末だけにし、社会に出たときに即戦力となり、成功するために、平日は企業でアルバイトをしようと考えました。
当時は、IT系のベンチャー企業が雨後の筍のように、次から次へと生まれた時代で、Windowsソフトのオーダーメイドを低価格・短納期で受注する会社に採用されました。

営業の手伝いをして3か月くらい経った頃、社長から「自分で営業してみろ」と言われました。時給に加えて受注金額の3%を歩合でもらえるという条件で、始めて3か月経った時点で、学生アルバイトの僕が正社員を抜いて売り上げナンバーワンになりました。就職活動の時期になると、「うちに就職してくれ。何年かしたら社長にしてやる」と誘われ、「仕事って意外とちょろいな」と、図に乗っていましたね。
就職はどうするのか父に聞かれたとき、この話をすると、珍しく怒られました。今まで僕がやりたいことは全て自由にさせてくれていたのに、「まずはきちんとした大きな会社に入って、人として、社会人として、ビジネスマンとしての基礎を学べ」と諭されました。

社内ルールを乗り越えて自ら営業に

アルバイトながら社会を経験した僕は、ビジネスマンとしての姿に憧れていた父がそう言うのなら正しいのだろうと思い、大学卒業後は、大日本印刷にコネで就職しました(笑)。社長が代々慶應義塾大学出身だからか、400人いる同期のほとんどが慶應義塾大学卒で、「こいつらが大学生活を満喫している間、僕は社会人と一緒に仕事をして売上トップにまでなったんだ。絶対に負けるはずがない」と、自分自身を鼓舞したものです。

当時新卒は、入社3年目まで営業に出ることができませんでした。そのことに納得がいかず、「与えられた仕事は完璧にこなしますから、空いた時間に営業しに行かせてください」と、上司に直談判したんです。毎日、終電近くまで働き、休みの日も出社して、何とか週に4~5時間、動ける時間を捻出しました。やっとの思いで作った時間ですから、意気込みはひとしおです。とはいえ、何のコネもありません。ラグビーをやっていたというだけの理由で、日本ラグビーフットボール協会をアポなしで訪ねましたが、最初は断られ続けました。
そんなある日、早稲田大学ラグビー部出身で、日本代表のキャプテンを務め、後に日本代表の監督に就任し、住友銀行の役員になった、ラグビー界では伝説の宿澤広朗さんを協会でお見掛けしました。すぐ駆け寄って、桐蔭学園ラグビー部でプレーしていたことを伝え、「5分だけ時間をいただけないですか?」と切り込んだんです。すると、必死さが伝わったのか、「じゃあ、5分だけだぞ」と時間を取ってくださいました。

2019年のラグビーワールドカップが大成功し、今でこそ国内でメジャーなスポーツになりましたが、当時は、メディアでの露出はほとんどありませんでした。そこで、日本のラグビーファンを囲い込み、情報を伝えられるような会員組織の立ち上げを提案したところ、その全てを任せていただけることになりました。「JRFUメンバーズクラブ」が誕生した瞬間です。思わず、「やった!」と心の中で拳を握り締めましたね。事務局の運営、ファンクラブイベントの企画・開催、メンバー向けグッズや会報誌の制作など一括で受注しました。
この仕事は、営業に出てはいけないはずの入社2年目の僕が社長賞を受賞したほど、会社にとっても大きな案件でした。

やることなすこと全て上手くいっていた

入社から3年経ち、某飲料メーカー担当として堂々と営業できるようになりました。どうしても取りたかったのは、大きなキャンペーンの仕事です。辛抱強く提案し続け、5年目にようやく受注し、売上げは億単位でみるみる上がっていき、史上最年少で組合事業部の代表にもなりました。「岡田は出世するぞ」と、周囲も期待してくれていたと思いますが、後輩に仕事を任せ、大事な場面にだけ出ていくような仕事ぶりでした。アルバイト時代と同様、調子に乗っていたとき、父が亡くなりました。
その翌年、29歳のとき長女が誕生しました。父は孫が生まれるのを心から楽しみにしていて、「庭の木の上にツリーハウスを造ってやる」なんて張り切っていたのを今でも覚えています。生まれたばかりの娘を抱いた瞬間、猛烈に感動し、わけもなく涙が溢れてきました。僕が生まれたとき、父もこんな気持ちで抱いてくれていたのかなと思い、「このままではいけない」と思いました。
でも、具体的にどうしたらいいかわからない。どうしようかと悩んでいる最中に、プルデンシャル生命保険の当時の営業所長から電話をもらいました。所長に、「夢はありますか?」と聞かれ、「死んだ父にしてもらったことを、僕の子供たちにしてあげることです」と答えると、返ってきたのは、「今のままの岡田さんにそれができるんですか?」という鋭い質問でした。答えに窮していると、「うちの会社なら、その夢を叶えられる可能性があるかもしれない。説明を聞きに来ませんか」と切り出され、これはご縁だと感じました。

自分の夢のために挑戦してほしい

衝撃を受けたのは、「一家の大黒柱であるお父さんが亡くなったとき、残された家族を守ることができない生命保険が横行しています。僕らの仕事は、真の保障、真の生命保険を世の中に普及する、世直しみたいな仕事なんです」という営業所長の話です。
家族のことに感傷的になっていた時期でしたので、この話に僕の胸は激しく揺さぶられ、プルデンシャル生命保険への転職を決意しました。前職では大きな仕事も任され仕事の内容にもとても満足していましたが、生命保険の営業をして数ヶ月が経ったときに「こんなにやりがいがあって楽しい仕事はない」と思いました。

そして、仕事をすればするほど、生命保険の重要さを感じました。あるご夫婦への商談の際、事前にご主人から伺っていた、「自分にもしものことがあっても、妻には不自由なく暮らしてほしい。これまでの感謝の気持ちを形にしておきたい」というお話を奥様に伝えると、感激して涙され、僕もとても温かい気持ちになりました。生命保険について考えることで、家族の大切さに気づくことができます。誰にでも、家族への想いがあるはず。その想いをお客様から引き出さない限り、真の保障は提供できません。このことに気付いてから僕の営業は加速しました。

お客様に喜んでいただければ、いただけるほど僕の収入は増えていき、気付けば前職より10倍の収入となり、時間を自由にコントロールすることもできるようになりました。その結果、父がしてくれたことを僕も家族にしてあげられるようになりました。

あなたと大切な方の夢を叶えることが人生の真の目的ではないか

現在、営業所長として僕が一緒に働こうと声をおかけする優秀な営業マンは、皆さん所属する組織で居場所とやりがいを見つけ、一生懸命仕事をし、活躍されています。そういう方にこそ、一度立ち止まって自分の人生を見つめ直してもらう、それが僕の役割の一つだと思っています。
弊社には、東京大学や一橋大学といった一流の大学を出て、電通、三井物産、モルガン・スタンレーなどの大手企業に勤めていた人がたくさんいます。普通なら、誰もが羨むような会社を辞めてまで保険屋になんかならないでしょう。でも、僕たちの仕事には、それだけやりがいがあるんです。

扱う商品を変えることで、夢が叶うとしたら。商品を売れば売るほどお客様に喜んでいただけて、社会貢献になるとしたら。もし、自分の営業力に自信があるのなら、このやりがいのある仕事に挑戦してみる価値は大いにあるはずです。
あなたの夢は何ですか?奥様やお子さんの夢を知っていますか?それを叶えることが、人生の本当の目的ではないでしょうか。自分と自分の家族、採用したメンバー、そしてお客様の夢を叶えるためには、僕自身が成長し続けなくてはいけません。この先もまだまだ修行は続きます。

ーOUTPUT は INPUTー
世の中には様々な研修がありますが、最も効果の高い研修は、人に教えることだそうです。今回の杉山大輔さんとの対談で、「なぜ自分が今の会社にいるのか。何のために頑張っているのか」を気持ち良く話せたことで、初心を思い出すことができました。
これまで多くの経営者にお会いしましたが、きちんと理念を持って経営されている方が成功しているように感じています。僕も自分自身の人生理念を見つめ直し、多くの方の可能性を広げられるように、日々頑張ろうと思いました。

プルデンシャル生命保険株式会社
営業所長 シニア・コンサルティング・ライフプランナー 岡田 吾一

ー編集後記ー
今回のインタビューは、岡田吾一さんの誕生日5月1日にちなみ、六本木ヒルズ森タワーの51階にある、六本木ヒルズクラブで行いました。

僕は、大学卒業後に進んだ慶應ビジネススクールで、プルデンシャル生命保険のビジネスケースを学び、その存在を知りました。22歳で結婚したとき保険契約を結び、18年経って子供4人の6人家族になった今も、僕のライフプランナーである岡田さんからは、常に先を見据えた適切なアドバイスをいただいています。「準備していれば、準備をする必要はない」をコンセプトに、仕事もプライベートも着実に歩んでいこうと思います。
岡田吾一、この熱い男と、是非一度話をしてみてください。あなたにとって、きっと素敵な出会いになります。

DOers編集長 杉山大輔

Interview and Editor : Daisuke Sugiyama | Text: Miho Asahina | Photography: Hiroki Hieda

Share

六本木ヒルズクラブ
プライベートルーム ザ スタディ

鼓動する街を抱いた360度の眺望。知性と感性が対流する自由な空間。
六本木ヒルズ森タワー51階に位置する、限られた人だけに開かれた寛ぎと刺激に満ちた会員制クラブ。

〒106-6151
東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー51階
tel: 03-6406-6001 fax: 03-6406-6002

URL : https://www.roppongihillsclub.com/visitor/dfw/rhc/jp/

2018 © DOERS.