田井治 孝介

Kosuke Taiji Independent Financial Advisor
(IFA:独立系ファイナンシャルアドバイザー)
株式会社ILI 執行役員 Financial 事業部長
田井治 孝介

唯一無二のIFAを目指して、
日々学び、自身を鍛える。

中学から大学まで陸上競技の選手として活躍した、田井治孝介。
今は厳しい金融の世界で、「金融のことなら田井治」と誰もが認めるIFAを目指し、持ち前の粘り強さで戦いつづけている。

Profile

田井治 孝介 Independent Financial Advisor
(IFA:独立系ファイナンシャルアドバイザー)
株式会社ILI 執行役員 Financial 事業部長

1989年、山形県生まれ。中学から走り幅跳びを始め、高校は千葉県にある陸上の強豪校、成田高等学校に進学し、日本ジュニア選手権2位などの成績を収める。筑波大学を卒業後はプロの道を考えたが、ビジネス分野での活躍を目指して就職活動をし、野村證券株式会社(2013年〜2020年)に入社。
金沢・長崎・大阪・東京の各支店や人事部を経験し、中堅企業オーナー、富裕層のお客様を中心とした資産コンサルティングに従事。2、3年で転勤してしまうため、担当したお客様と築いた関係を継続できないことに違和感を感じ、独立を決意する。
現在は、IFA(独立系フィナンシャルアドバイザー)として株式会社ファーストパートナーズに所属し、富裕層の方々に対して運用提案やソリューションの提供を行っている。趣味はサーフィン。1児の父。

陸上に打ち込んだ10代

中学から走り幅跳びを始めて懸命に取り組み、全日本中学校陸上競技選手権大会で全国1位という成績を挙げ、ハンマー投げの室伏広治さんや、マラソンの増田明美さんの出身校でもある千葉県の陸上の強豪校、成田高等学校に入学しました。そこでも日本ジュニア選手権2位、国体3位などの実績をつくり、筑波大学に進みます。卒業後はプロになるか、実業団に入って活躍することを考えていたのですが、オリンピック代表選手に選ばれるような同級生たちの中で、自分の実力に限界を感じるようになりました。
毎試合後、その結果を踏まえて修正して次の大会に挑むんですが、「できることは大方やった。これで記録が伸びなければもう仕方がない」と、陸上はやり切ったとも思いました。中学生のときからずっと頑張っていた陸上を諦めてしまうことに、多少のわだかまりはありましたが、自分が活躍できる新たなフィールドをビジネス分野に求め、会社員になる道を選びました。

大学まで競技一筋でまとまった休みを取ったことがなかったので、就職する前に単位を1つだけ残して休学することにしました。その間にサーフィンにはまり、サーフィンのメッカであるオーストラリアやヨーロッパに短期留学しながら、年間で約200日海に入る生活を送りました。留学費用は、趣味のバイクのパーツや車体を知り合いから仕入れて、手入れをしてネットオークションで売却するという方法で稼ぎました。「扶養控除がなくなる」と、親から文句を言われたほどです(笑)。

就職活動を始めるにあたっては、例えばプログラミングのような突出した技術が自分にはなく、何をやろうか迷いました。証券業を選んだのは、仕事で会えるさまざまな業種の経営者の話が自分の糧になると思ったからです。バイクの売買経験からマーケットに興味が湧いていたこともありましたが、野村證券に入社したのは、そんな単純な動機だったんです。

残り1%に待っているわくわく

私は、建設業を営む家庭に生まれました。長男なので父の後を継ぐという選択もゼロではありませんでしたが、年々人口が減少している地元の山形県米沢市よりも、人口が多くてトレンドの先端である東京にチャンスを求めました。しかし、野村證券での仕事は想像していたのとは異なり、1人1台自転車を与えられて、「1日100枚名刺を集めて来い」という辛い日々が1年間続きました。
そんな中、毎日のように通っても全く会ってもらえない上場企業の社長がいました。ある日、別のお客様に、「田井治くん、真面目だね。いい人紹介してあげるよ」とその場で電話をしてくださり、「明日の朝9時、この会社の社長室に行きなさい」と言われました。なんと、その会社は正しく私がずっと通っていた上場企業! 翌日、有り難いことに大口の取引を頂くことができ、人との繋がりやご縁の大切さに気づかされました。

しんどい99%を打ち消すような、残りの1%にわくわくする取引が待っている。入社数年目の若造が、上場会社の経営者と直接取引できるダイナミックさや、正攻法では到底到達できない道を自分の工夫次第で一気に飛び越えていける、これが証券業の面白さです。この出来事で、人とのご縁、日々の行動が後々の自分の運命を大きく左右することを実感し、日常の生活態度が変わりました。ゴミを拾う、公共トイレの手洗い場が汚れていたら拭くといった些細な行動がきっかけで、将来が大きく変わる可能性を感じています。

一蓮托生でお客様に寄り添う

入社後は、金沢・長崎・大阪・東京の各支店を経験しました。忙しくも充実した日々を送る一方で、2、3年で転勤してしまうことを疑問に思いました。お客様と信頼関係が築けた頃、これから面白いビジネスができそうだというときに異動になってしまうのです。また、証券業の収入のメインは、売買発生時に入る「手数料」です。これは、投資家であるお客様の損得に関係なく入ります。加えて、資産運用にはリスクが伴うため、お客様の資産が減ってしまうことはあっても、会社員である私の給料が変わらないことに違和感を感じ始めました。
それならば、お客様のリターンが増えれば自分の収入も上がる一蓮托生の関係で、責任をもって大事な資産をお預かりし、長期に渡っていい関係を続けていきたいと考え、IFAの道に進むことを決意しました。野村證券という大きな看板がなくなることに不安がなかった訳ではありませんが、それよりも転勤の度にお客様との関係が切れてしまうことに納得できませんでした。実際、転職してからもずっと取引していただいているお客様もいて、私自身を信頼してくださっていることを嬉しく思っています。

野村證券では営業エリアが決められていたので、お客様を紹介していただいてもお断りせざるを得ないこともありました。現在の株式会社ファーストパートナーズでは、全国のお客様に対応できて勤務時間の縛りがなく、地方のお客様でもすぐに飛んで行って対応できるので満足しています。2、3年で異動してしまうこともないため、長期目線での対応が可能になり、同世代のベンチャー起業家との付き合いが増えました。
上場を目指すにあたっての資金調達の相談や、IPOに向けての施策相談など、ベンチャーキャピタルやプライベートエクイティファンドとの接点も増え、お客様に提案できる幅がかなり広がったことも転職によるプラス面です。

「あと1件」の粘り強さ

金融業はおそらく、一番人に紹介しづらい職種だと思います。どうやってその壁を乗り越えて、新規のお客様にアプローチするかが課題ですね。でも、自身の名刺1枚持って経営のトップの方にお会いできたり、小さな工場から大きな会社に成長させた話など、普通はなかなか聞けない経験談や、刺激になるお話をたくさん聞けたりすることは貴重なことですし、自分の成長の糧になっていると感じています。大変なことはもちろんありますが、あとで振り返ったときに後悔しないように、常に険しい道を選ぶようにしています。
これは、「迷ったら苦しい道を行け」とお世話になった方から言われたことです。もし、自分にとって楽な道を選んで失敗したら後悔するでしょう。逆に困難な道を選んで失敗しても、それはチャレンジした結果なので、自分自身納得できるはずです。

営業において大事にしているのは、「あと1件」です。今日はもう帰ろうかなというときに、「あと1件だけ行ってみよう」と思って行った先で口座をつくってもらえたり、大口の取引が決まったりするもの。陸上での厳しい練習や、野村證券時代の名刺1日100枚を耐え抜いたことで得た、この「諦めない」「忍耐力」「粘り強さ」が私の強みだと思っています。お客様にとことん寄り添う、最後までやり切る私の仕事スタイルで、それぞれのお客様の意向に沿った最適なプランをこれからも提案していきます。
若い頃は、勢いだけでガンガン攻めていても許されました。30歳を過ぎると、税金や相続のことなど金融に関するあらゆる知識が伴った提案ができないと、営業として務まりません。とは言え、今は少し守りに入っているようにも感じていて、20代の頃のようにもう一度尖ってみようと思っています。相手の話をじっくり聞く姿勢と攻める姿勢。そのバランスが難しいから、この仕事は面白いのかもしれません。

信頼できる金融マンとして

私の子どもには、やる前から諦めないでいろいろなことにチャレンジしてほしいですね。やってみたいことがあれば、「とりあえずやってみなさい」と勧めて、のびのび育てようと妻とも話しています。私も自分自身に限界をつくりたくないと思っています。でも、私より優秀な金融マンはたくさんいて、どうしても敵わないこともあります。だから、適材適所と言うか、これまでに作り上げた人脈をフルに活用して、その時に応じたいろいろな人を巻き込んでしまおうと考えています。そうすれば、きっと何だってできます。
多くの人から、「金融のことなら、田井治孝介」と言ってもらえるように、簡単には諦めない精神で日々チャレンジしていきます。資産運用はもちろん、M&Aや不動産・金融に関することは、何でもご相談ください。金融のベストパートナーとして、私の強みを生かした最適なご提案をお約束いたします。

Message

田井治 孝介

今回のインタビューを経て、今までの人生を振り返る良いきっかけになり、自分はこういう人間なんだという気づきや、インタビュアーから見える新しい自分を発見できました。自分の強みを考え、ポリシーを言語化する重要性を感じたので、定期的に行っていきたいと思います。
DKさんとは独立して間もない頃に、あるお客様のご紹介で知り合いました。社会人生活の中で「カド」が取れ、少し落ち着いたなと感じていたところに、猪突猛進のDKが現れ、いい刺激になりました。
脂の乗った40代に向けて、もう一度「カド」を尖らせて走りたいと思います。

Independent Financial Advisor
(IFA:独立系ファイナンシャルアドバイザー)
株式会社ILI 執行役員 Financial 事業部長
田井治 孝介

田井治孝介さんは、「大ちゃん、とっても素敵で仕事のできる方がいるの」と、金沢城北ライオンズクラブ会長(当時)の江尻道代さんに紹介いただきました。初めて会ったときには拙著を3冊購入して読み込んでいて、しっかり準備をする人という好印象を受けました。そして2年前に、弊社が新規事業の不動産事業部とファイナンシャル事業部を立ち上げた際、いろいろとアドバイスをいただきました。
今回の取材を通して、彼が「粘り強い男」「耐え抜く男」であることを知りました。インタビュー中に、弊社の仲間になってもらえば投資・ファイナンシャル部門や会社全体での価値提供がさらに良いものになると思い、その場で、「俺の会社で働こうぜ」「いいですねー」と決まりました。数時間、酒を飲まないで真剣に話す機会は貴重です。
僕より10歳年下の若者に刺激的な環境を用意したら、ものすごい結果を出すのでは?とワクワクが止まりません。皆様、田井治をよろしくお願いいたします。

DOers編集長 DKスギヤマ
編集:DKスギヤマ インタビュー:井上恵里花 ライター:楠田尚美 撮影:荒金篤史
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久保寺 亮介 Ryosuke Kubodera 株式会社Dooox代表取締役
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